1964年ブロードウェイ初演。20世紀初頭のニューヨークを舞台に、ユダヤ系移民の娘ファニー・ブライスが笑いと涙で喜劇女優の頂点へと駆け上がる実話に基づく感動作。Barbra Streisandの当たり役。
| 作曲 | Jule Styne |
|---|---|
| 世界初演 | 1964年 |
『ファニー・ガール』(Funny Girl)は、1968年制作のアメリカ合衆国のコメディドラマ映画。1964年にイソベル・レナート脚本でブロードウェイで初演されたミュージカル『ファニー・ガール』の映画化であり、レナートが映画版でも脚本を執筆し、ウィリアム・ワイラーが監督を務めた。ブロードウェイや映画で活躍した喜劇女優ファニー・ブライスの半生およびキャリア、起業家でギャンブラーのニック・アーンスティンとの波乱万丈な関係を大まかに基にしている。
ブライスの義理の息子であるレイ・スタークが自身が設立したラスター・プロダクションの第1作目としてプロデュースし、ジューリー・スタインとボブ・メリルが作詞作曲した。
舞台版に引き続きブライスを演じたバーブラ・ストライサンドが本作で映画デビューし、オマー・シャリフがアーンスティン役を演じた他、ケイ・メドフォード、アン・フランシス、ウォルター・ピジョン、リー・アレン、メイ・クウェステルが出演した。
批評的にも商業的にも大ヒットし、アメリカ国内で同年最高の興行収入を記録し、第41回アカデミー賞において8部門にノミネートされた。アカデミー主演女優賞にノミネートされたストライサンドは『冬のライオン』に出演したキャサリン・ヘプバーンと得票数が同じになったため史上初の2人同時受賞となった。2006年、アメリカン・フィルム・インスティチュートにより「ミュージカル映画ベスト」の第16位にランク付けされた。2002年、「情熱的な映画ベスト100」の第41位にランク付けされ、2005年、「アメリカ映画主題歌ベスト100」において楽曲「”People”」が第13位、「パレードに雨を降らせないで」が第46位にランク付けされ、2005年、「アメリカ映画の名セリフベスト100」において「今日は、大スターさん(”Hello, gorgeous”)」が第81位にランク付けされた。『ファニー・ガール』は傑作ミュージカル映画の1つとされている。
2016年、アメリカ議会図書館により「文化的、歴史的、審美的に優れている」としてアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
第一次世界大戦前のニューヨーク。『ジーグフェルド・フォリーズ』主演のファニー・ブライスは夫のニック・アーンスティンの出所を待ち、出会いと結婚時を思い返す。
舞台女優を目指す10代のファニーはヴォードヴィルで初めての職を得る。母親とその友人ストラコシュ夫人はファニーが誰もが認める美人ではないため、なんとか説得してショービジネスを諦めさせようとする(“If a Girl Isn’t Pretty”)。ヴォードヴィル劇場でのリハーサル中、劇団の団長はファニーの下手なダンスと容姿に不満を言う。ファニーは解雇されそうになるが、なんとか逃れる(“I’m the Greatest Star”)。エディの助けと励ましのおかげで、ファニーはローラースケートができないにもかかわらずローラースケートのシーンに出演する。このシーンは酷い出来であったが、観客は面白がり喝采する(“Rollerskate Rag”)。ファニーはソロで「”I’d Rather Be Blue Over You (Than Happy With Somebody Else)”」を歌う。このデビューの後、ファニーは上品なニックと出会う。6ヶ月後、ファニーは夢に見た「ジーグフェルド・フォリーズ」のメンバーとなる。デビュー作にてファニーはオチの新婦役を妊婦にしてロマンティックな曲をお笑いに変える(“His Love Makes Me Beautiful”)。ファニーは「ジーグフェルド・フォリーズ」を解雇されそうになるが、母親たちが楽屋を訪れコミカルなシーンを称賛したためジーグフェルドは考えを改め、以降の公演も同じようにやるようにと語る。ファニーはニックと再会し、ヘンリー通りのファニーの自宅でのデビュー祝いのパーティに同席する(“People”)。
※ 作品情報の一部は Wikipedia より引用。
| 上演年 | 公演 | 劇場 | 状況 |
|---|---|---|---|
| 2026年10月 |
ファニー・ガール 大阪公演 2026
梅田芸術劇場
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梅田芸術劇場メインホール | |
| 2026年9月 |
ファニー・ガール 東京公演 2026(日生劇場)
梅田芸術劇場
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日生劇場 |